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日本統治期樺太の農業移民と天皇
The Japanese Emperor and Agricultural Migrants in Southern Sakhalin under the Japanese Administration

要旨:

1905年、日露戦争後のポーツマス条約により、日本はサハリン島の北緯50度線以南を帝国の版図に収めることになる。それまで住民の大半を成していたロシア系の住民のほとんどは本国ロシア帝国へ帰還した。そして植民地政府である樺太庁のもと、日本人を中心とした新しい樺太移民社会が形成されていく。樺太の豊富な水産・森林資源は、多くの季節労働者をひきつけ、樺太は一大「出稼地」となって行く。しかし、樺太庁自体はその状態を快くは思ってはおらず、農業植民こそ樺太開発の礎であるべきであると考え続け農業移民を招来し続けるも、樺太農政の方針が明確に確立されるのは、領有から四半世紀も経った1930年代の前半であった。 それに先立つ1928年、帝都では昭和天皇即位を祝う「昭和の大礼」が執り行われた。この際、樺太農家からも数名の農家が天皇の名の下に表彰される。樺太庁は彼らを「篤農家」として顕彰し、島内に向けてその存在を大々的に喧伝していくことになる。そして、この篤農家運動は、内地での篤農家運動とは時期も異なり、独特の背景を持っていた。 植民地・農業・天皇―この三者の絡み合いこそが、この独特の背景を成すものである。政策資料や現地メディアの分析から、この三者を通して、樺太移民社会の特質の一端を明らかにすることを試みる。 長い揺籃期を有した樺太農業の夜明けとも呼べる、この樺太篤農家顕彰事業の意味を読み解く。


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